深くて、すごいいい映画やと思う。
 自然との共生についてがテーマやと思うねんけど、森を削り、木を切るタタラ場と森、神々がどう共存して行くのか、すごい難しいテーマや。
実際、自然との共生を考える中で一番難しいのはそこやと思う。
つまり、
森を壊さずに鉄を作らなければならないエボシ=現代人
って言う事やね。

 ジコ坊も言ってたけど、人間は欲深い。
でもその欲深さと、好奇心が人間を発達させてきた。
今人間が自然を取り戻そうとする大きな理由の一つは、生物の多様性が失われれば、人間どころか、地球の生物のほとんどが絶滅してしまう可能性があるとわかっているからやと思う。
つまり、自然との共生というのは、人間の進歩の一つだ。

 他に「もののけ姫」を見てて思ったんは、エボシ、ジコ坊、アシタカ、モロの素晴らしさだ。賢く、優しく、行動力があり、人望がある。
それが、今回のエボシのように、そういう人が判断を誤ると、森も、タタラ場も無くなってしまう様な事になってしまう。

 人間でありながら、最後まで人間を許すことが出来ないサンは森で、アシタカはタタラ場でずっと、暮らせればいいと思うし、ラストに出て来たコダマがその結論が希望に満ちていることを示していると思う。

 実際、室町時代にここまで人間が自然について考えれる能力をもっていれば山犬が絶滅することも無かったやろうに。

 綺麗な映像と、精密で細部までこだわられた絵や、みんなが魅力的な登場人物は、すごすぎ。
例えば甲六の
「花咲じじいだったんだ〜。」
の後ろで病気が治って驚き、喜ぶ、鉄砲を作っていた若い女の子。
すごい。
 死んだ後、人はある建物へ行きそこで、人生で1番楽しかった事を1つ選ぶ。建物にいるスタッフがその思い出を映画にして再現。死者はその映画を見て、その思い出を完全に思い出すと、その時の思いだけを胸に成仏する。

 主人公は、建物の職員、望月としおり。
 2人は思い出を選べず、他のメンバーと共に職員として働いている。
 自分の担当した死者に思い出から、最後には思い出を選び成仏した望月と、決して選ばず、職員としての思い出を胸に生きて行こうとするしおり。思い出を選ぶことは、自分の人生を肯定できたと言うことであると同時に、他の思い出を忘れてしまうことでもある。

 しおりと望月の最後の会話が感動的。
 1番好きなシーンはその最後の会話の直前に、望月が去る事を察したしおりが、自分がまた忘れられる、しかも好きな人から忘れ去られる事をやるせ無く感じ、真っ白に積もった屋上の雪をぐちゃぐちゃにするシーン。

 望月も、自分が他人の1番大切な思い出の1部であった事をきっかけに、思い出を選ぶことが出来たし、人はいつまでも人に覚えていて欲しいのだと思う。

 思い出を選ぶ基準や、桜の好きで子供に桜子と名づけ、彼女がハタチになるまで成仏しないと決めた職員に、あばあさんが冬なのに手作りの桜を渡したシーンや、望月がもらった手紙を見て思ったのだが、人がうれしく感じ、大切にしたいと思える思い出を作るのは「やさしさ」なのだと思った。

 映像としては、映画に、ドキュメンタリーの手法を取り入れた変わったものとなっており、それがリアリティーを作り出している。監督は是枝監督。
 ARATAの演技も見事だし、しおり役の人も好き。

 月と雪がなんらかのメタファーだと思うがわからなかった。
 見終わった後は自分なら何を選ぶかやはり考えてしまう。
 映画で公園のベンチがそうだったんだけど、人生ってうまく言葉に出来ないけれど不思議と何か同じ要素が絡まりあっている感じはする。
 井筒監督の描く京都の在日朝鮮の人と1人の高校生の物語。
 軸となるのは、康介がキョンジャに恋をし、付き合うまでだが、そこにキョンジャの兄アンソンと朝鮮高校の友達の周囲の高校の生徒とのケンカに明け暮れる毎日。アンソンの恋。キョンジャの周りの在日朝鮮の人の暮らし等、様々な物語を絡み合わせる。そこで浮かびあがって来るのは在日朝鮮の人の心理だ。故郷は北朝鮮で、ここ日本での暮らしはつらく、北朝鮮に戻ってもつらい暮らしは続くと予想され、日本も守ってはくれない。そんな想いだ。

 もっとも印象的なのは、アンソンの親友の1人チェドキが日本人とのケンカで死ぬのだが、その葬式で在日の人たちはつらい過去を康介にぶちまけ、日本人である康介の居場所をなくし、チェドキと仲の良かった康介を追い出してしまう。康介は葬式を出た後、キョンジャとの大切な曲イムジン河を練習、共演したギターをやりきれなさから鴨川で叩き潰す。そして、ラジオ局のフォーク大会で懸命にイムジン河を歌う。そのシーンだ。

 日本と在日の人を結ぶのは想いだ。何にも負けない強い思いだ。康介のキョンジャを想う気持ち。アンソンが日本に残ろうと決めた気持ち。アンソンの恋人が1人で子供を生もうと決めた気持ち。朝鮮高校の生徒の日本の高校生とのケンカに負けたくないという気持ち。

 朝鮮半島という、ただでさえ日本と中国の狭間にある小さな半島が関係の無い国の思惑で2つに分かれている。昔から中華思想も根づいている。日本に併合された過去もある。ソウルを首都にして南北が統一されないと北では作物は育たない。そんな背景を持った朝鮮民族の中でもさらにはぐれた存在である在日の人達。それでも在日の人が日本人に対しいつまでも過去をうらんでもいけない。日本人が在日の人に偏見を持ってもいけない。若い強い思いを持って過去を打ち砕いかなくてはならない。そこに新しい何かが生まれる。レオポンが生まれたように。井筒監督はこの映画でそう言っていると思う。
 この映画はいい映画だ。
世の中にはいい男といい女が溢れていて、擦れ違って行けばいつかみんな出会うと思う。
夜の店で男は言う。
「どこに行っても必ずお前に合う。」
全くそのとおりだ。
「友達だろ?」
そうやって、別れの悲しみも癒えて行くのかな?

 金城武が父親をビデオに撮るシーンは泣けるし、女と付き合った時は印象的なセリフを沢山言うし、最後に殺し屋の女と出会うシーンは心温まる。

 ウォン・カーウァイの取る画面は細長い。
部屋も廊下も細長い。
何故だろう。
この映画でウォン・カーウァイは光を流したり画面を揺らしたり白黒にしたり流れる時間の速さを変えたり、凝った映像をふんだんに詰め込む。
他の映画でもここまでは凝っていない。
しかし描く人物像はどの映画も変わらなく魅力的だ。
この映画も題名の通り全員が天使のように魅力的だ。
ここまで全員をよく深く描けるなぁって思う。
ウォン・カーウァイのすごさは映像だけではなくここにもある。
 刑務所から出た男が家に帰る途中で女性を誘拐して、さらに殺しをしようとする映画。
 好きなシーンはラストとボウリングのシーンで、深夜のボウリング場で気持ちよく次々とストライクを取って行くシーンはとても印象的でこのシーンを見てからは深夜のボーリングは物凄く真剣にやってしまう。
このシーンでなぜか、クリスティナ・リッチがタップをすんねんけど、何でここでタップなのかわからないし、それまでの映画の雰囲気にも合ってないねんけど、なんか良くて、不思議な色気のあるクリスティナ・リッチのタップが映画に合ってないねんけど、合ってて、それがこのシーンをすごく深くていいシーンにしてると思う。
 クリスティナ・リッチがホントかわいいのね。
アダムスファミリーの子供とは思えない。
でも、不思議な感じはあの役とちょっと似てるかな。
証明写真のシーンのクリスティナ・リッチとかもなんかいい雰囲気やし、なんか映画全体の不思議でまったりした雰囲気をクリスティナ・リッチが創ってると思う。
面白いしホントいい映画やった。

2046

2005年8月9日 ★★★ 大好き
 今まで見た中では1番質の高い映画やと思う。

 その質は映像とか、画面構成とか、映画の構成とか、演技の事やねんけど、ホンマ画面が綺麗でなにが違うのかとか言うのは細かくわかれへんねんけどすごいきれかった。
鏡を異様に多用してんのはさすがにわかった。

 演技もほんますごかった。
全ての動きに意味を感じる。
章子怡の流す涙は何度もドキッとした。

 それに、この映画はこれだけの役者、スタッフ、小道具、CG等全てがただ愛の表現のためだけに使われてる。
すごい贅沢な事やと思う。

 時間、空想と現実、気持ちの描写がかなり交錯するから、かなり難しい映画やと思うし、俺の場合2046とリンクしてる王家衛監督のほかの作品見てないし、まだまだ見逃してるすごい部分があると思うけど、この映画の素晴らしさは十分感じれた。
 本編後の、インタビューでも言ってたけど、女の子の方が見てて分かるらしい。
 
 だから、俺は、あんま、分かってないんかもしらん。
でも、全てがちゃんと分かる映画なんて無いし、別にいいかな?

 行定監督が、印象的な映像も、メタファーかどうかは、微妙なとこって言ってった。
行定監督は、比喩があんまないんかも知らんくて、そういう分かりやすさが好きやなぁ。
って思ってんねんけど、これも俺の勘違いかも。

 見てて、サキコだけじゃなくてミヤコも、実際かなり孤独やなぁって気がした。
 
 女の子は、この気持ちが分かるんかぁ。
大分、危ういなぁ。

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